Web担当者として、Webの進化を理解することは、未来のWeb戦略を考える上で不可欠です。しかし、Webの歴史は複雑で、どこから手をつければいいのか迷ってしまう方も多いのではないでしょうか?
この記事では、Webの歴史を「ARPANET(アーパネット)」から「iPhone」まで、わかりやすく解説します。Webの誕生から、ブラウザ戦争、そして現代のモバイルファースト時代まで、Webがどのように進化してきたのかを理解することで、Webの未来を予測し、効果的なWeb戦略を立てるためのヒントを得ることができます。
この記事を読むことで、以下の内容を理解できます。
Webの歴史を学ぶことは、単なる過去を振り返ることではありません。それは、Webの未来を創造するための第一歩です。この記事を通して、Webの進化を体感し、Web担当者としての視野を広げていきましょう。
またWEBとは何かわからない人は「【初心者向け】Web(ウェブ)とは?わかりやすく解説!」をあわせて読んでみてください。
Web誕生以前のインターネット:アーパネット(ARPANET)と冷戦
ここではWebが登場する以前のインターネットの歴史について解説していきます。
インターネットとWebは違う
前提なのですが、Web=インターネットではありません。インターネットとは、抽象的な概念で、単なる情報網です。
一方で、Webとはインターネットの一種です。Webは画像や音声、文字などの情報をアップロードしたり閲覧することを可能にしたシステムです。このWebがのち説明するように、インターネットを世界中に広めることになりました。
冷戦とインターネットの誕生:アーパネット(ARPANET)
インターネットの誕生の背景には、東西冷戦がありました。社会主義諸国はソ連を、資本主義諸国はアメリカ合衆国を筆頭に対立が起こりました。
冷戦の間、ソ連とアメリカは、直接的に戦火を交えませんが、以下のような事態が繰り広げらお互いの牽制が起こったのです。
- 軍備の拡大や核開発競争
- 宇宙開発競争
こうした際に、ソ連からのミサイル攻撃を受けた際に情報網をいかに守るかが課題でした。
そこで1969年にアメリカ国防総省高等研究計画局が、アーパネット(ARPANET)という世界初のインターネットは生みだしました。当初は軍事目的の利用でした。
集権管理システムから分散システムへ
当時の情報ネットワークの特徴は集中管理システムという形式でした。しかし、集中管理システムは一箇所重要な部分をミサイルで攻撃されたら、全ての情報網が破壊されてしまいます。
そこで、管理システムから分散型のインターネットの開発が急がれたのです。つまり、分散システムと言われるものです。
インターネットの普及
インターネットの元祖であるARPANETは米国内の研究機関の間を高速な回線で接続され、次第に全米をつなぐネットワークへと成長していきました。
誕生当初のインターネットのサービスには電子メールや、複数人が参加できるフォーラム形式のネットニュースなどのサービスが開発されました。
とはいえ、当時のインターネットはWEBのように一般の人たちが使いにくく、一部の研究者が使用するにとどまっていました。
この状況を大きく変えたのは、Webの誕生なのです。
Webの誕生:Mosaic(モザイク)
こうしたインターネットが徐々に進歩していく中の延長線上にあるのがWEBです。
Webはティム・バーナーズ=リーによって生み出された
Webは、1990年11月12日にスイスのCERN(セルン:欧州原子核研究機構)という国際的な研究所で働いていたティム・バーナーズ=リーがWebの提案書を書いたところから始まりました。この提案書に、ブラウザとサーバー、クライアントの構想が造られていました。
さらに彼はハイパーテキスト(Hyper Text)と呼ばれる仕組みを作り出しました。簡単いうと文字をクリックすると他のWebページに移動する、いわゆる「リンク」という機能のことです。
さらに、Webを作成する際の約束事であるHTML(Hyper Text Markup Langage)が生み出されたのもこの時です。バーナーズ=リーがWebを発表して以来、Webは世界中で徐々に普及していくようになります。企業や大学の研究者は無償で公開されたサーバーやブラウザを利用し、コンテンツを公開しはじめました。
1992年には、ホスト数が1,000,000を突破し、ネットサーフィンという言葉も生み出された時期でもあります。
インターネットを普及させたブラウザMosaic(モザイク)
Webは1993年になると一気に普及しはじめます。その要因としては、ブラウザの進歩がありました。NCSA(米国立スーパーコンピュー応用研究所)が公開したMoanic(モザイク)というブラウザが公開されます。
Mosaic以前のブラウザは文字情報しか使えませんでしたが、Mosaicは画像を見ることができたのです。その後、internet ExploreやFirefoxといった現在のブラウザの源流になっています。
Mosaicの登場によって、学術的なコンテンツだけでなく、ニュースや娯楽メディア、ショッピングサイトがWeb上で登場するようになります。
さらにMicrosoftやIBM、Sun Microsystemsといった、コンピュータ、ソフトウェア、ネットワーク機器などのIT関連製品の販売業者が参入してくるようになります。アマゾンが生まれたのもこの時期のことです。
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Webの急激な拡大:ブラウザ戦争とW3Cの設立
Webの利便性が上がり利用者が増加するにつれて、Web内における共通規格が必要になりました。そのきっかけとなったのが第一次ブラウザ戦争とW3Cの設立でした。
第一次ブラウザ戦争とWindows95
1995年、MicrosoftがWindows95を発売しました。これは、インターネットが一般に広まりはじめた時期に、業務用だけでなく、一般家庭にも急速な普及を見せた画期的なOSです。
Webが普及しはじめた当時は、さまざまなブラウザが世の中に登場しはじめた時期でした。当初はWebブラウザと言えばNetscape Navigator(NN)がトップでした。
このネットスケープナビゲーターに対して、Windows 95と抱き合わせで発売されたのが、Internet Explorer(IE)が戦いを挑みます。これを第一次ブラウザ戦争と言います。
しかし、MicrosoftがInternet Explorer(IE)をWindows95に抱き合わせて無料で配布しはじめたことで、NNの地位が脅かされるようになります。
結果として、IEが天下を取り第一次ブラウザ戦争は幕を閉じました。これにより、ブラウザが事実上一元化されることになりました(のちにこの構図は壊れます)。
Webの仕様の策定:W3Cの設立
Webの実装が、ブラウザ戦争などにより、バラバラになり相互運用性に欠けはじめます。そこで、HTML、XML、HTTP、CSSの標準化を行う目的としてW3C(World Wide Web Consoritium)が1994年に設立されます。
背景には、ブラウザ戦争がありました。各社のブラウザが独自拡張を繰り返したことで、ブラウザごとにHTMLやCSSのレンダリングの結果が異なるという事態が発生したのです。
これは、W3Cの設立などの努力によって長い時間をかけて徐々に解消されました。しかし、現在でもブラウザ対応という言葉が残っているのはそのためなのです。
Webが当たり前の世界へ:Chromeの天下とスマホの登場
第二次ブラウザ戦争とGoogleChromeの天下
IE含めて5つのブラウザが群雄割拠して混迷を極めたのが第二次ブラウザ戦争の特徴です。
第一次ブラウザ戦争を制したMIcrosoft社のInternet Exploreは6.0までアップデートを繰り返し洗練を繰り返していきました。しかし、ユーザーからみて目新しさが薄れていき、マンネリ化をしていました。
そうした中で、ChromeやSafari、Opera、FireFoxなどの競合サービスが出てきました。
結果、Chromeが覇権を握るようになり現在に至っています。
iPhoneの登場:Webが手のひらへ
2007年、Apple社によってiPhoneが発表されました。これにより、手のひらにインターネットがやってきました。
その結果、Webがより身近なものになりました。手のひらで直感的に使えるスマートフォンというカテゴリーは、インターネットの利用者数を大幅に増加させたのです。(総務省資料:世界の携帯電話加入数、インターネット利用者数の推移)
さいごに
みなさんが普段当たり前に使っているインターネット。どのような道のりをたどり現在のWeb(World Wide Web)の形になったのかこの記事では解説してきました。
Web関係の仕事をしている場合、歴史を通して、現在のWebがなぜ今のような形式なのかを理解することが重要です。
最後までお読みいただいてありがとうございました。